前の10件 | -
譜読みを心地よく感じること [ピアノのテクニック]
ショパンのソナタ3番を譜読み中

譜読みの時点から、肘を緩めて、響きやメロディの動き、右と左の音と感覚を感じるように、最初から豊かな情報量を読み取り、感じて弾けるように、と思いながら弾いています。
今のところ、普段の譜読みよりも格段にミスは少なくなっています。テンポをあげるときに先を急いでしまって、ミスの癖を体が覚えてしまわないよう気をつけようと思っています。跳躍の大きいところも、目で確認するより、まず指先が一番近い放物線を描いて自然にそこに指が届くように、腕のほかの部分はそれを補うように、とにかくよく体の声もきく。
いつも、早く上手に弾きたくて、結構すっとばしでやるものだからねじれてしまって、変な癖を付けてしまうところ(自分でだいだい分かってるのにやめられなかったんですよね。)そこは、チャンと、心と耳と体がついてるように丁寧に進めていく。
そうすると、すごく気持ちがいい、ということが分かりました。譜読みっていうのは、できることならはしょりたい、面倒くさいところ、だったものが、最初っから今まで仕上げのときにしていたような、深い部分に取りかかることだってできるんだということが分かってきました。
下のこういう部分も、ほんとにこの楽譜が実現できるものかどうか、という不思議な部分だけれども、最初から無視しないで、かいてある通りに聴こうとしてみるのです。そうすると、平らに弾く、あるいは拍子に乗っ取って弾くのとは全然違うニュアンス、リズム感が要求されているのだということが分かってきます。こういうのを、私は譜読みをした後で考えていたような気がしますが、結局それは身体的にも時間的にもロスを大きくすることなのかもしれないと思います。何ともいえない,心地よさが、身体を満たしてくれます。
それで、思ったのですが、私たち、何事にも、何かに到達するまでのプロセスというのは通過点で、そこは「耐えなきゃいけない」と思ってる部分がないだろうか。
快感というものをストイックに遠ざけてしまっている、というところが。
快感というのは、身体的なものを通すからですよね。精神的なものだけではない、ということです。ミスがないということはミスをしてはいけないと言う拘束ではなく、ミスがなくその瞬間、すべてが楽譜の誘導するように耳に届いているということは、義務ではなく、心地よさ、なのですね。私は初めてそれを感じたような気がしました。正しい場所に手が届くというのは、快感、なんです。手にとっても、耳にとっても。
もうひとつ、驚くのは、この年になってもまだ、こうやって新しい気づきが、ぽこぽこ湧いてくるということ。まだ、上達するんですね、暗譜は確実に大変になってきていますが、テクニックということに関しては、どんどんかわってきている気がします。これも、心地よさ。すごいことができるようになるという訳ではないけれど、今まで光を当てられなかったところに意識の光が届いている、という実感。年齢故、ということもあると思います。
中学生の卒業 [子どもってどんな存在なんだろう]
ちょうど同じ日に二人の中学生が、最後のレッスンを受けました。
中学生になると、本人の意思に反して続けることはとても難しくなってきます。
中学生になってくると、自我が芽生え、周りと自分との関係が視野に入ってくるようになり、いろんな壁を感じる年頃でもあります。
自分とレッスンとの関係も、自分なりに捉えようとしているのだと思います。
いろんな周りからの情報と、自分の能力や好みといった情報の量は、思春期以前とは比べ物になりませんし、それをまだ未熟な自我で一生懸命解読しようとします。
この悩ましき思春期の子達が、納得し、そこに意義を見いだせるだけの説得力が私になかったのだと、反省。
この、教室を去っていく子達にどんな種を残したらいいのだろうと、それを考えました。
私はこっそり、二人に時限爆弾を仕掛けたのでした。
こっそりと、種をまいておきました。
いつか、その種を拾うときがあるだろうか?時限爆弾が作動する日が来るだろうか?
きっと、今は子ども達は、大人への一つのステップとして古いものを脱ぎ捨てる必要があるのでしょう。
何れにしても、私のお役目はここまで。まだ伝えたいことはたくさんあるのだけれど・・・
元気に生きていってくれることを願うばかりです。
折り皺のない譜読み [いととはりのピアノ練習帳]
ショパンのソナタの譜読み開始から10日くらい。
今回は、少し工夫して譜読みするようにしている。
数年前まで、譜読みをすると、肩が凝っていたのだが、肘が緊張していることに気がついた。まずはこれを緩めてゆったりとした気持ちで弾く。呼吸も浅くないように。肘の緊張を弾きながら解いていく方法はショパンのエチュードから学んだ。分かったところだけ速く、というのは、なし。終止、ふんわりモヘアの毛糸を編むような気持ち。焦った練習はマイクロスリップを引き起こし、従って、肘が全体の流れを止めてしまうことになる。
それから、フレーズを理解できているかどうかをよくきく。まだ音楽的に受け止められていないところは、片手でよくフレーズをきく。そのとき、筋肉の動きに注意。1の指が突っ張っていたりすることがフレーズをひとつながりにできていない原因だったりするから、メカニックと音楽の関連をよく見極める。これも、緊張が先に走ってはだめ。難しいフレーズを感覚的に掴めたら、両手に戻る。そのとき反対の手も聴けているかどうか。跳躍が大きいときは、どのくらい手が離れてるかとか、黒鍵をどんな風に手になじませればいいかとか、そういう運動的なことも全体の流れの中で掴んでいく。メカニックだけ後から別物、とはしないようにする。譜読みしながら、身体と脳がふわっと花咲いたように、いい感じになる。集中してるときは。そうでないときはできるだけうまくいってないことに早く気がついて、やめるか休憩するか、もう一度集中の方向へもっていくようにする。入ってくる情報量と質は、以前の譜読みの方法とはずいぶん違う感じがする。
そうやって、譜読みのときから注意深く、ミスのない練習を心がける。
ただ、いつもつまづく所はまだ深追いしないで、少しテンポを遅らせて、全体が聞こえているのを確認する程度でよしとする。それよりも、そういう難しいところや、最初の方や、好きなところだけ手慣れてしまうことになってしまわないように、まんべんなく一曲全体を編んでいく。
例えば5ページまで譜読みがおわっていて、今日は6・7ページをするとすると決めたら、まずピアノに座ったとき絶対最初から弾かないで、6ページから練習を始める。
昨日までは5ページまでをたくさん弾いて、慣れているのだから、同じ質感で仕上がるように、次の日は6・7ページを少し多く弾いてから 最初からの練習をする。そうやって、全体が同じプロセスで同じ練習量で仕上がっていくよう調整する。
彫刻を彫るように。
大きな傷を掘ってしまわないように、ミスに慣れてしまうような譜読みにならないように。
譜読みをはじめたら、滞らないように、毎日続ける。練習できない日は布団の中で、思い出す。
無理をして一日にたくさんしてしまわない。荒くなるから。それより毎日少しずつ、常に新しい譜読みを加えていく。そうして、あまりもたもた、べたべたしないで、速やかに読んでいく。
とりあえず今日、それで一楽章を読み終えた。読み終えたというのは、一応、一つの楽章を一つのつながりの中でとらえられるようになること。
少し2楽章にも取りかかってみた。
この調子なら、なんとか全楽章、譜読みできそうだ。
生徒でも、ちょいミスのなおらない子がいる。私もそのタイプ。いつも同じところを間違うのではなく、旋盤にもともと傷がついていて、曲をのせたら不特定のところで、ミスが生じる・・・そんな感じ。私がその癖を直せたら、生徒にも伝えられるかな。私はいつも折り皺ができてしまう、プレス機のよう。これ、きっとアンプの問題じゃなくて、最初から取り組み方が間違ってるんじゃないか、と思ったのがそもそものきっかけ。というか、肘に力が抜けたら少し、取り組み方が分かってきた。多分これでいつもの癖が出てこないように注意深くやれば今までより、完成度も上がるんじゃないかと思う。きっと聴かない癖や、体を無視する癖があるんだと思う。
ショパンのソナタは結構な分量の譜読みが必要なので、効率も大事になってくるから、よい練習になるな。
譜読みをするとストレスを溜め込んでいたのだが、今回は快調。
2月から変身! [がんばれ零細個人ピアノ教室]
2月からレッスンのスタイルを変えるために調整中です。
どんな風になるかというと、だいたい生徒がレッスン室にいる時間が1時間、
そのうち20分が個人レッスン、20分が筆記、20分がグループレッスンになります。
生徒は20分ずつ時間をずらしてくるようになっていて、3人から5人そろったところでグループレッスンをします。
だから、最初に個人レッスンをする子もいれば、グループレッスンから始まる子もいます。
いろいろ、考察し、頭の中で何度もシュミレーションして、これが一番いい方法だと思ってはいるのですが、まだまだ不安でいっぱいです。
まずは20分の個人レッスン、これはかなり効率的にやっていかないと、生徒は何をやっていいのか迷うでしょう。十分な理解がないまま、ということにもなりかねない。
何人かの生徒は、これまでやっていた「バーナム」をはずしました。バーナムは応用的なテクニックの習得するのにとてもよい教材なのですが、ある程度余裕がある生徒むきなんじゃないかと思うようになってきたからです。ここ1年くらい、テクニックの習得はテキストを使わない方法に切り替えていっています。ちょっとジャズピアノの練習みたいなんだけれども、一人一人に今ひつようなテクニックを一つのフレーズの中に挿入し、そのパターンを繰り返して上行、下行する方法です。バーナムもよい教材なので、手放すのは不安なのですが、少し思い切って、手放してみることにしました。余裕のある生徒は継続します。これはなんとか自分の中でもクリア。ただ、それ専用のテキストというか練習帳がひつようになってくるので、まとめていかないといけないなあとは思っていますが、2月からテキスト作成の時間も週1で作っていくつもりなので、じっくり取り組んでいこうと思っています。
一番問題なのは、指の感覚がいつまでも身に付かないとか、いつまでもフレーズ感覚が掴めないとかで、ものすごくレッスン時間を食ってしまうタイプの生徒です。これまで、それを手取り足取りっていう感じでなんとかフォローしてきていて、それを、ピアノの前ではなくグループレッスンでおぎなっていこうという考え方に切り替えたいと思っていた結果のこの方法ではあるのですが、やっぱり不安。こういうタイプの生徒さんは、いつも自分の中にいなくて周りに気が散る感じなので、グループレッスンが功を奏するか、失敗するかはなかば賭けだなーと思っています。でもみんなですると楽しいよね、それは分かる。やってみるか。
保護者の皆さんへの通達、ご理解は、ありがたいことに、割合スムーズに行きました。年初めの弾き初めのときに直接お話しできたのがよかったと思います。あとはレッスンにこられる曜日と、進み具合からどういうグループ組にしていくかということ。パズルみたいに難しい。
グループレッスンで何をするかというのも、これから取り組んでいかないといけない大事なこと。
一回のレッスンでうちにいる時間は長くなるし、5週目はお休み、というお決まりのパターンもやめたので、全体として一人の生徒にかかる時間は長くなるのですが、間にグループレッスンや自習が入るので、実際にはこれまでの40分レッスンから見ると、私のれっすんにかかる就労に時間は短くなります。短期集中、という感じ。グループレッスンをする小学生の生徒さんは同じ日に固まって次々来るかんじになります。
そのかわりに、自習時間に生徒に取り組んでもらいたい課題の作成や、コミュニケーションツールとしてのレッスンノートへの書き込み、 テキストの作成や、グループレッスンの構築など、レッスン時間外の時間は圧倒的に増えてきます。仕込みが甘いと、きっとこれはうまく行かない、と思います。
月、水、木、日を通常レッスンの日とし、
これまでレッスン日だった火曜日を幼児さん、大人以外の生徒はなしにして、この日をレッスン構築のための日にすることにしました。
これは私自身の精神衛生も考えての時間組。
そうすると、レッスン料、というのは 時給いくら、という考え方はなくなってくると思います。その辺も、フレキシブルに考えを変えていきたいと思っているんです。
5週目もやるけれども、思いっきり休んで休養がひつようなときは休む。自分の練習に時間を費やしたい時や、テキスト作成にもっとしっかり時間をかけたいとか、目的を持った時にレッスンを休むようにする。それを例えば、子どもたちにとって、大変な運動会の時期に休みを取るとか、夏休みは思い切ってグループレッスンを拡大するとか、そんな感じで、時間に縛られないスタイルに変えていきたいと思うのです。
今年の演奏曲 [いととはりのピアノ練習帳]
いととはりのピアノ練習帳久しぶりの投稿です。
今年の練習目標。
ショパンのピアノソナタ3番
ブラームスの間奏曲117の3(できたら117−1と117−2も)
グラナドスのアンダルーサとほか数曲
ショパンのエチュード 25−6 25−11
去年は仕事量が大幅に増え、私自身も自分は演奏する人というよりは、教える人だし、そうなろうと努めてきたこともあって、また、自分の練習より、家庭を大切にしたい思いもあって、極力大きな曲にアタックするのはよしにしておいたのです。また、きっと自分が演奏するシーンを考えたら大きな曲とかマイナーな曲よりは小品でみんなによく知られた曲の方がいい、と思って選曲して練習していました。
でも、去年の暮れにどうしても欲しくなって買ったショパンのピアノソナタの楽譜を年明けて開いたら、堰を切ったように、この曲への思いが募ってきたのでした。
楽譜を読むのは初めてですが、耳の奥に残っている、若い頃飽きることなくきいたcdを、細部に至るまで思い出して、何かがわあっと立ち上がってくる思いがしました。弾いてみると意外と弾きやすい。私の小さな手でも十分弾ける感じ。耳に残っているものがクリアなので、初めて弾いてる感じが全然しなくて、構造的に立ちあがってくる。我ながら、よくきいてたんだなあと、感心します。耳の中でなっていて、ああ、こう弾いていたけど、私はこうかも、なんて考えながら、譜読みしています。こんな楽しいことはない!でもあの頃のように今こんなに熱心に一つの曲を聞くことができるんだろうか?
こんなに熱心に一つの曲を聞けるか?
この問いに、一チャレンジしてみようと思ったのが、ブラームス。彼のピアノ曲を弾くのは初めてです。
ひさしぶりにきいたmdで、きれいと思いました。グルダの演奏でした。ナクソスで別の人のをきいたのですが、同じ曲とは思われない(笑)。いま、自家用車の中で何度も聞き直しています。近いうちに楽譜を買いにいくつもりです。
グラナドスはアンダルーサを弾いて、面白かったので、もう少し彼のことを知りたいと思ったから。
ショパンのエチュードは常に私のエチュードだから。本当に何度も何度も弾き直しています。その度に新しい道が開ける。一生この繰り返し、しあわせ。
なんかねえ、たまらんね。
なんか、自分をだましてたかな。すなおになろ。ピアノ弾こ。
******
「わたしねえ、ピアノが好きだ〜、いまさらだけどさあ」といってしまうほど、やっぱりピアノが好き。
「はい、はい」といってきいてくれる娘。
以前私が指をけがしたとき
「ピアノ、どうするの?」と心配してくれた息子。
分かってくれてるのが、うれしいです。
ピアノ教室の枠を超える [がんばれ零細個人ピアノ教室]
久しぶりに、教室外でのワークショップがありました。
小さな未就学のお子さんたち対象。
とりあえず、ということで、私の方も、デモンストレーションのつもりで気軽に出かけていきました。
仲介をしていただいた方には、これは私の仕事であることを伝えて理解もいただいていました。
そして今日、きちんとそれを受け止めていただき、次回今日のワークの講師料も、と考えていただいていたのでした。
私には、何の資格もありません。
けれども、これが仕事です、と私は言います。
これが言えるまで、たくさんの迷いと躊躇がありました。今もないと言えば嘘。
でも、これは私の仕事です。
小さな子ども相手のお楽しみ会をボランティアで行っている方はたくさんいます。そして、今日出かけていったグループの方達の中にも、その場に意義を感じ、無償で時間と労力を払っていらっしゃる方もいます。それは長いおつきあいになる友人たちでもあります。
私の仕事が認められるということは、これが芸術的、教育的価値を持っていることを認めてもらえるということだと思っています。この仕事があまり世の中にないということは、これからそれを認めてもらえるようにしなきゃいけないということです。それは、事実そうであるかどうか、ということ以上に、一般的であるかどうかとか、今の風潮に即しているかどうか、資格や有名であるかどうか、という判断に負うところも大きく、そうすると、私のやっていることは、決して世の中に「ボランティア」ならまだしも、「仕事」として受け入れられる余地というのはあまりない。でも、大きな声ではとても言えないけれど、これは私の仕事なのです。
これで私は我が家の食費の足しにし、庭の花を買います。
私は、たとえ小さな声でも、これが私の仕事です、ということ自体が、芸術活動だとも思っています。これをボランティアではなく、買ってください、これで私は生きているのです、と。そういうものを養うだけの、社会の器の広さ、意識の深さを、耕しているのだと思っています。本当の仕事というのは、ワークショップを開くこと以上にそちらにあるのかもしれません。とにかく、私はこれまでの「ピアノの先生」の枠を超えて仕事をしていきたいし、それは必要なことだとも思っています。教室のシステムも来月から本格的にかえることにしました。
私は、どうも「枠」のなかでは本当の芸術活動はできないと思うのです。誰もそうすべきというのではなくて、私は、少なくとも、ずっと形の中に収まっていては、よくない。活動中はちょっとイレギュラーなことが常に起こっているような状態と、あるいは、収入にならない、いわばほんとうの遊びとしての私の芸術活動の時間の確保、これが
大事と思うようになりました。おもえばいつの間にか仕事に追われる生活になっていたのですよね。私自身が枯渇しかけていた。ピアノレッスンそのものも、いつか判で押したようになり、その中でのテクニックの向上に負われるようになっていた。今なら、それが分かります。私はかわりたいと思う。
とにもかくにももう一歩踏み出したのだから、照れや、自信のなさや、ちょっと変なことするより無難でいたいという思いや、そういうものは、なくせと言っても無理だけど、仕事にするんだったら、そういうことは言ってられません。がんばります。
名詞もつくりましたヨ。
保護者と一緒に弾くピアノ「ぐるぐるピアノ」 [本の感想1]
昨日は、恒例の弾き初めの日でした。
今回は年末の声かけが功を奏したのか、どの生徒も「人前で弾く」ためのまとまりを持った演奏ができていました。
選曲も自分でしたのですが、自分のレベルにあったもの、自分が弾いて楽しいもの、を選ぶこともできました。
年末のグループレッスンのときにくることができなかった生徒は、弾き初めに対する思い入れというか、意識があまりなく、ちょっといつもと違う感じに戸惑っていたようでした。それはそれ、めげずにどうどうと弾けばよし。評定があるわけでなし、みんなが楽しめばそれでいいのだから。
ほかの保護者の方のために用意したのが、この本。何かに使えたら、と思って買っておいてよかった。
予定していたわけではなく、ふと思いついて始めました。
ドだけ分かったら弾ける、とか 同じフレーズの繰り返しに、楽しい伴奏がついています。誰でも弾ける、というのがいい。
「どうか、みんなきかないで」なんて言うお母さんもいて、おいおい、って感じなんだけど、その正直な気持ちが思わず出ちゃうのが、いい。こういう機会に子どもの気持ちも分かってもらえるといいですね。
いっつも、子どもが演奏、親はきく、という一方通行でなく、お母さんも緊張し、子どもがそれをハラハラ見守る、というのは、なかなかに新鮮で、よいものでしたよ。一回の弾き初めに13人から20人程度、それを2時間のお楽しみ会で、昨日で3回しました。このこじんまりさも和気あいあいでよかったです。うちは生徒が30人近くいるので、もし全員の家族ごと結集したら、80人くらいになってしまいます。そうするとやっぱり、きいてる方はお客さん、になってしまいますね。いきなりだと。こうやってお互い何となくしりあって、ちょっと演奏する緊張と恥ずかしさを共有し合って、これで、発表祭のとき改めて80人がそろったら、いきなりの80人とは違う空気が作れるのではないかなと思います。そういう手間ひまも大事だなと思いました。できたら、春先かゴールデンウィークくらいにもう一度機会を持ちたいと思いました。
指を広げる、まわす [ピアノのテクニック]
ピアノのテクニック、と言っても、いろんな方向から光を当てるべきで、「こうすればテクニックがあがります」というようなことは、なかなか言えないだろうと思いますが・・・
生徒さんたちの様子を見てきて、こと、「指の運び」に関して思うところがあるので書いてみます。全身的な反応力や、聞き方との関連など、ほかに光を当てたいところがたくさんあるので、それはまた、別の機会に。
私は以前から、5指ー5音でできる(つまり、ハ長調だと、ドレミファソだけの音数)曲ばかり初期段階で与えるのは問題がある、と言ってきましたが、これは、指の運びにおいても、しかり、と思うようになりました。
ハーモニーの感覚から言っても、スケール感覚を掴むため、という観点から言っても、ドレミファソの次には、下のシと上のラに向かうべきで、そこから突然にト長調の5音(ソラシドレ)に飛ぶ、ほとんどのテキストには違和感を持っています。
これは、テクニック、という観点からもそうで、下のシに向かうためには、親指を少し広げるか、2の指が親指の上を越える必要があります。これは、かなり前に書いた、「指に音名が固着してしまう」パターンから早く抜け出して、音の高さに相即して指が運ばれるようにするために必要なことではないかなと思いました。それは、「指を運ぶ」指令の前に「まだ出ていない音に反応する」行為が先行する、という習慣付けにもなってきます。
私が教えているのは、おそらく、平均的な子どもたちで、指の感覚も決して滑らかではありません。きっと、だから、なるべく簡単なテクニックで、という配慮が上記のようなテキストにはあるのだと思います。けれど、私はむしろ、その子の規定の体験を崩していく、崩して別の行為、別の体験にいつも出会っている、という状況を作ってあげる方が、動いていくんじゃないかと思います。最初にインプットしたものが、縛りになって、新しい体験を受け入れない、という難儀にも、もう嫌というほどであってきました。ぬかるんだ道に轍をとられたのを、ただただ、旗を振って応援するしかないのかと、なかば、あきらめに近い境地になることもあります。
でも、もっと別な体験を取り入れていくことで、別方向の力が働いてくることもあるかもしれません。
「むずかしい」というかもしれないですけど、その難しさは、ぬかるみにとられた轍をただただきた方向から押していくことではなく、あたりを見渡して道具を探したり、逆方法に進んだり、道が乾くのを待ったり、というような別のアクションに変える、思考方法の転換になれていないのだ、とも思えるのです。
あ、テクニックのことを書くんだった。でも、そういうこと何じゃないかな。テクニックというのも結局。そうか、テクニックというのは結局、新しい経験を取り入れていくことなんだな。小さいときに「パターン」で覚えてしまっては、あまりにもったいない、と思います。
自分で学ぶことを見つける
昨日の夜、伝え損ねたことがあったので、ある生徒のおうちにでんわして、お母さんとお話ししている間も、生徒が弾いているピアノの音が聞こえていました。
おかあさんの話では、
家に帰ってから、自分で自分のテキストを広げて、テキストの音符を書きうつし、今それを弾いてみてるところ、ということでした。
昨日のグループレッスンで、個人の練習状況を見ている間、ほかの生徒たちには、自分の楽譜をノートに写すように、という指示を出していました。
「ええ?どうやって?」
「先生、ト音記号も写すんですか?」「先生、どの曲をかいたらいいん?」、
などという声を、「え?テキストに書いてあるように、だよ、なんでもいい、まかすから」と、それ以上の質問は「ああ、めんどくさい」って感じで軽く流したのでした。
レッスンのとき一人の生徒にどう?と、きいたら「ちょっとしんどい」という答え。
そりゃあね。やらされてる感が強いと、つまんないよね。
日常的に、そういうことは「やらされて」やるもの、という習慣付けになっている・・・きちんと丁寧に書く習慣自体は、いいのだけれど、それによって、本来書くことで掴んでいけるのは、写しているものの本質的な形や動きであってほしいところなんだけど、「きちんと丁寧に書く」とこじたいの修練以上のものになっていない感じがしました。「もっと、楽にいこうや」と、声をかけてあげたいところだけど、基本的な性質や習慣がそうなっているのだから、そう簡単にはいかないでしょう。その場その場で一つ一つ対応していくしかないと思いました。
写譜することで、今まで気がつかなかったことに気がついてくる、とか、楽譜から音楽を読み取れるようになってくるとか、私はこれは絶対面白いことだと思うんだけれども、それは、あくまで、自分からの気づきがあってこそのこと。
これから、そういうことも取り組んでいきたいと思っています。
もっと楽に楽譜がかける方法があることや、写譜するときに要点を押さえておけば、雑でもかまわない、ということなんかも時間を作って教えてあげたいと思っています。
おうちに帰って,自分で写譜を始めた、という生徒は、小学校1年生。
まだまだ、そういうことが新鮮だったのかもしれません。
でも、私が指示したのは楽譜を写す、ことろまでで、それを実際に弾いてみよう、と思ったのは、その生徒の自発性でした。
それは昨日のグループレッスンが楽しくって、その続きをしたいと思ったのかな?
自発性のきっかけ作りになれたのだったら、とても嬉しい。
そのためには、それ以上のよけいなことを教えないってこともあると思います。
学びの本質って、何かというと、私は 世界という大きな流れから、いかに本質的なものを汲み取ってくるかだと思っています。
それは、やっぱり自分から世界に向き合っていかないと、しょうがない。
27日全体グループレッスンの報告 [レッスンノート]
うてな音楽教室の親睦を深め、発表祭に向けての関係作りをすることを目的に、22日に引き続いて、27日に全体練習をしました。
9:00〜12:00
9:00小学生以上集合
輪になって、隣の人をみんなに紹介する。わからないときはみんなでフォロー。
次は自己紹介、みんなに伝わるように、ゆっくり落ち着いて言えるようになるには、回数を重ねてなれる必要があると思った。今日のところはみんなこれで上々。
22日につくったグループに分かれる。「リンゴチーム」「ホットコーヒーチーム」「ニャンセブンチーム」
歌の練習 柔軟体操と、発声練習。
前回カエルの歌と、「ハレルヤ」を楽しくできたので今日は別の曲を用意・
クララシューマン ”カノン”(ぜんたいで)輪唱。楽しくでた。声もだんだん遠慮なく出てきた。付点のリズムをそろえること、別のチームの声も聞くことが今後の課題になる。音程が沈むチームがまだある。少しだんだん速くなる、いづれも、相手の声を聞くことでクリアしていくはずなので、今後機会があるごとに回数を重ねて練習する。
光が降る(いととはり作詞作曲) ユニゾンで、リズムを取りながら歌う練習
10:00〜幼児さんも参加
10:00〜
お迎え式
輪になって座り
ボールまわし「おへそ」(小学生以上の生徒も楽しく参加できました)
先生の役をしてくれた人も。
最後は、歌をうたいながら、私に回ってきたボールをかごに片付けていくと、
ボールがなくなった手から自然に隣の人と手と手を合わせてリズムを取って歌う仕草が生まれ、
うれしくなった。
お菓子とお茶 お菓子は、前日に保護者の方と私とで作ったマクロビオティックお菓子、お茶はほうじ茶
子どもたちは興味津々。おいしい!という声と、なれなくってちょっと・・・・という声が。正直に伝え合うことが大事。白菜の味がする、と言う面白い感想も。家族にもって帰りたい、という子も。苦手、と言っていた生徒も、帰りには、紙に包んでもって帰っていました。家族で話題になるかな?
作っていただいた保護者の方に感謝、感謝。そのお子さんは、みんなで食べて、うれしそう。その子は、声出しのときに、一番長く声をのばすことができたので、みんな、これを食べたら
その子みたいになれるかも、と、みんなでチャレンジ。やっぱりその子が一番。
幼児さんに歌をご披露。
カノンと光が降る できは、、、、うーん。次はがんばろう!
私 ピアノ弾く(グラナドス作曲アンダルーサ)
もう一度輪になって、みんなで”さよならあんころもちまたきなこ”を練習。
さよならのs
あんころもちの aとo
またの m
きなこの kとn
を実際に声を出して、手で動いてみる。これはオイリュトミーのしぐさ。
発する音と、身体の連動が納得がいくと、これは絶対子どもは楽しいと思っていたのだが、
実際、生徒たちはそれは楽しそうに、やっていた。
幼児さん帰る
11:00〜
弾き初めの曲の確認。
うてなの行進曲を少し練習。実際に鍵盤ハーモニカでみんなで演奏してみた。
やっぱりちょっとハシる。
11:40〜個々人の2週間分のピアノの練習を確認。
その間、ほかの生徒は楽譜に何か自分がやっている曲を書き写す。(1ページ)
速い子は12時丁度に終われたけど、最終の生徒は12時40分を超えてしまった。
私の時間配分ミス。
今日のできは上々、だが、これからこれがお遊びに終わらないためには、私が明確な方向性を打ち出していくことと、次々と準備を整えていくことが必要になってくると思う。
生徒たちの準備はよく整ったと思う。
保護者の皆さんも、2回にわたる練習に快く参加させてくださって、感謝。
参加できなかった生徒が、これから参加しやすい環境をととのえることと、
このグループレッスンの必要性と参加することの意義を理解してもらうにはどうしたらいいだろう?ということを考えていく。いつも不参加の生徒は同じだ。
おそらく、集団に対する苦手意識があるかなと思う。それは私自身がいつも感じていることだからよくわかる。だからこそ、こうして、誰もが居場所のある集団を目指しているのだ。それが、必ず音楽を広く深くしていくと信じているから。「場」が成長していくことは必ず個々人の成長にも関わる。そこを理解していただきたいと思う。
おそらく次は春休み。それまでにすることを正月の間に考えておくこと。
うてなの行進曲も 作曲をすすめる。
生徒たちが上出来だったからこそ、私の宿題もたくさんになった気がする。
もう一つ また、カメラに収め損ねた。
いっつもいいところを撮れない。
がっくり。
前の10件 | -







